悪口
今までの人生で、
こういうことがとても多かったんです、私。
文章にすると分かりにくいかもしれないけど…
Aさんと私はふつうに仲良し。
ある日、Bさんがやってきて、
Aさんの悪口を私に言った。
「いじわるだ」
「媚びすぎ」
「まじめに仕事してない」
「人を利用してる」
批判はいろんな内容で、
いろんなパターンがあった。
私はAさんに対して、そんなこと感じたことは
なかったけど、
「そうなんだ…」
と受け止めてしまう。
それから、
Aさんのことを見るたび、
「いじわるなんだ」
「媚びてるんだ」
「まじめに働いてないんだな」
「人を利用してるんだ」
と思ってしまって、
ふつうに話せなくなる。
そう思いたくなくても、もう元にもどれない。
そして、ある日Aさんに言ってしまう。
「いじわるするのは良くないよ!」
そして、
仲良かったし、何も不満もなかったのに、
Aさんとの関係は玉砕。
Bさんはあれだけ悪口を言ってたのに、
「Aさ〜ん、いっしょに帰りましょー」
と笑顔で接している。
私はもうAさんと笑顔で話せないのに。
なんで?なんで?
こういうことが、私は人生の中で、
いーーーーーーーーーーーー
ーーーーーっっぱい
あった。
みんなずるいと思う。
なんで、本人がいない時に批判するくらいの大きさで
本人に伝えないの?
「伝えたよ」
という人がいたとしても、
100分の1くらいの大きさになってる。
「もうあの子との交流はないわー」
くらい言ってたやん。
とか、
「本当に毎日ストレスなんだよね」
って言ってたやん!!
って思う。
私だけが馬鹿正直。
しかも、自分からの発信じゃなく、
他人の感情が乗り移ってしまう感じ。
自分はそう思ってない!って強くいたいのに、
悪口、陰口を聞くと、その色メガネがくっついてしまう。
「知っている」というだけで、外せないメガネ。
いつも悔しかった。
自分の意志じゃないのに人間関係くずされて、
悪口言ってた本人は、ひょうひょうと愛想良く当人に愛されようと媚びている。
そして、仲良くしている。
悲しかった。
でも、
ようやくそこから脱出する方法が自分で見つかりつつある。
「悪口」を「悪口」と捉えないこと。
そう、否定を根本的になくせば、
こういうことはなくなる。
「Aさんっていじわるなんだよ」
って聞いたら、
「へー。いーじゃん。いじわるな人も宇宙に存在してるってことは、その役割が必要なんだよ」
とかね。
「Aさんって、媚びすぎだよね」
って聞いたら、
「今は必死に愛を得ようとしてるんだろうね。不安なのかもね」
とかね。
「Aさんって、まじめに働いてないんだよ」
って聞いたら、
「まあ、そんな時期なのかもね。やりがいのある仕事につけたら、頑張れるだろうね」
とかね。
「Aさんって人を利用してるよね」
って聞いたら、
「私もそんな段階の時があったなーー。人を操作しようってするのって、けっこう大変なんだよー。
しんどい思いしてるだろうなー」
みたいなね。
「えっ、それって悪いことだね」
って解釈しなければ、
本人に伝えて改心させねば!
とはならない。
つまり、そのまんまを肯定的に受け入れられて、
その事実を持ってる本人と、
仲良しでいられる。
もう、私にはこれしかない。
そしたら、AさんのこともBさんのことも、
そのまんま愛せる。
何十年もかけてたどり着いた解決策。
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